〜第7回〜
「残酷グリム」は単なるパロディだッ!!




やっとこさファイナルでございます。

前回は、童話が「伝承」から「出版物」に変わることによって細かくリアルな描写を必要としてくることを書きましたね。
大人が童話を読む場合、普通の童話よりも
複雑で現実的なものが好まれるようになるってワケです。


しっかし童話に本来必要なのは、そンなものじゃありません。
童話に本当に必要なもの、
それは「デフォルメ(変形・簡略化)」です。

秀逸なデフォルメっぷりを発揮しているのグリム童話といえば、
やはり「オオカミと7匹の子ヤギ」でしょう。
子ヤギを食べたオオカミは、寝ている間にお腹をハサミで切られるわ、
石ころを詰められるわで、かなりのバイオレンスっぷりが描かれてますけど、
このときのオオカミの身体は徹底的にデフォルメされていますね。
ハサミで腹を切られても血は出ないし、オオカミのお腹の中は「内臓」ではなく、
単なる「空間」という概念で語られているのですから。

こういったデフォルメの存在を無視すると、童話の内容は破錠していきますね。
だって、考えてみてください。
オオカミに食われた子ヤギは、すでに消化されてるかもしれませんし、
かっさばいた腹の中に石を入れるンですよ?
現実世界では絶対にあり得ない現象でしょう。
童話に対して、過剰に現実性を追求してしまうと、
それは童話に相応しいものではなくなり、「パロディ
[注1]」になっちゃうンです。

「グリム童話」は「出版物」というカタチで世に出ました。
この中にはいろいろな物語が記録されていますが、
後世「語られる」ことよりも「読まれる」ことが圧倒的に多くなり、
「出版物」という形であるからこそ手を加えられる機会、つまりパロディ化の機会を得てしまったのです。


「グリム童話」は「初版」を出版したところ、世間の非難を買うことになった。
で、版を重ねるごとに
不要だと思われる部分(当時の大人が「性的描写や暴力を暗示している」とバッシングした部分やフランス産の物語)の削除、
そして加筆が、25年間にわたってグリム兄弟本人によってされていったのです。
それは、言い換えれば、グリム兄弟が自分自身で「初版」のパロディを作っていったということにもなります。

もちろん、その背景には近代的な教育観や価値観がありました。
だって、パロディは時代に応じて変化するものなのですから。
パロディが時代に応じて変化する理由は、人々がパロディを作りたがる理由と共通してます。

パロディが生まれたり、変化する理由は、
「オリジナル」モノが時代や社会の好みに合わなくなってくるからです。
「グリム童話」の場合だと、「初版」の内容が時代に合わなかったからですね
(仮にその時代にマッチしていたのなら、何度も改訂させるほどのバッシングは起こるはずがありません)。
だからリム兄弟は初版に何度も手を加えて、近代という時代ににマッチするような物語に変えていったワケです。

文学的価値観ともなれば、すべてが「時代の好み」に左右されていると言っても過言ではありません。
たとえばシェイクスピアの悲劇は、18世紀から19世紀にかけての古典主義の時代には人気がなく、
最後を改変してハッピーエンドにすることもあったそうですから、
これも、いわば「時代が生んだパロディ」と言えましょう。


しかし、冷静に考えてみれば、
我々にとっては、現在普及している「第7版」こそが「グリム童話のオリジナル」のはずです。
なぜなら、「グリム童話」が日本に入ってきたときは、
それがすでに「第7版」だったからです。
ここで価値観が逆転します。
我々にとっては「初版」の存在が、逆に「パロディ」に思えてくるのです。

日本人が知ってる「グリム童話」という存在は、「第7版」がオリジナルであります。
で、今まで子供のためと思われていた「グリム童話」は、
じつは残酷でエロっぽくも解釈できる「初版」が存在していた、と
まるで鬼の首を取ったかのように騒ぎ出したのですね。
確かに「初版」は、「グリム童話」の歴史から見ればオリジナルです。
しかし、「本当は残酷〜」と謳ってる中身を見れば、
そんなのは単なる誇張表現にすぎないことがわかっていただけるはずです。


現代は、「印刷技術」も「紙の大量生産技術」も発達している時代です。
物語は「文字メディア」というカタチで流れる時代なんですね。
そして「文字メディア」の物語は、時代に合わせた加筆がなされていって、
童話は過剰な「新解釈」によって、どんどんディティールが付け加えられていく。


薄っぺらな童話は「リアルな」装いによって、
クソぶ厚い小説本という「エログロなパロディ」として出版された。
それこそが「残酷グリム本」の正体なのであります。



今回のポイント

「残酷グリム童話」は、
 現代価値観が生み出した、大人のためのパロディ本にすぎません。 
「大人のための〜」って言うと高尚に聞こえるかもしれませんが、
ワイドショーレベルと言えば納得していただけるでしょうか。


結論:「残酷グリム」は、読む価値ナシ。

 



     [注1]パロディ:
      よく美術品にある「レプリカ」というのは、
      同一作者あるいはその工房によって製作されたオリジナルの「複製」のこと。
      これを作者以外の人や工房がやると「模写」、つまりコピーになる。
      またこの「模写」をオリジナルとして発表すると、これは「贋作」になる
      (誰かが「コピー」として製作したにもかかわらず、それを「本物」として骨董屋が売ったりすると、
      それが「本物」でないとわかった時点で「贋作」になる)。
      そして、オリジナルをもとにして(ネタにして)独自の作品を制作すると、「パロディ」になる。
      わかりやすく言うと、「レプリカ」は廉価版、「コピー」はパクリ、
      「パロディ」はパクって別のものを作り出すこと、になりますね。
      じゃあ「アレンジ」の定義ってどうなるンでしょうか?