第6回 最後は歴史学で斬ってみます。
RPGの世界って、どうして基本的に「剣と魔法の世界」なのでしょうか?
一説によりますと、「テーブルトークRPG」を1人で遊べるべく発明された「ゲームブック」を
世界でいちばん最初に発行したイギリスの出版社「パフィン・ブックス」社が、
もともと児童文学や幻想小説を出版していたところが大きいと言われています。
もともと「テーブルトークRPG」の世界は、
J・R・R・トールキンの「指輪物語」をベースにした「剣と魔法の世界」を舞台にしていたのですが、
そこから生まれた「ゲームブック」がそれを踏襲して、
コンピューターRPGでも、それが受け継がれているのです。
ま、要するに「剣と魔法の世界」は、
「中世ヨーロッパを基本とした空想世界」というように定義できるのですが
(「大正蒸気浪漫」と似たようなものですね)、
今回は敢えて、そんな「剣と魔法の世界」を歴史学的に斬ってみようかと思います。
まず王道RPGになくてはならないものは何かと言いますと、
敵、すなわち悪魔とか魔王の存在です。
そこで疑問。
果たして中世ヨーロッパには、悪魔は存在したのでしょうか?
だって、悪魔がいなけりゃ王女様はさらわれませんし、それを救う勇者も登場しませんでしょうが。
コレ、けっこう重要なコトです。
で、悪魔はいたのかどうか?ですけども、
はい、存在しました。
ペストという名の悪魔が。
ペストっちゅーのは別名「黒死病」とも呼ばれる伝染病でして、
感染率、潜伏期間の短さ(1〜7日と言われている)、そして死亡率の高さから、
悪魔の仕業とされた病気なのでした。
当時は細菌という存在は認識されてるワケでもなく、とにかく原因不明の病気だったのです。
要するに「何故病気になったのかわからない」=「悪魔の仕業」だったのですね。
こんなペストと戦うために人々は何をしたのでしょうか?
「神様に祈る」とか「ペストをばらまく悪魔を殺す」です。
実際、ペストの流行によってヨーロッパの全人口は1/3にも減少したくらいですから、
中世ヨーロッパの人たちは「どーやって悪魔を見つけて殺すか?」にやっきになっていました。
だってペストの治療法ってないンだもん
(現在では、1929年に発見された
青カビから作られた抗生物質ペニシリンがペストの薬として存在する)。
つまり「ペストの根源を断つ」ことが悪魔を倒すことであり、世界を救うことだったのです。
そこでヨーロッパで何が行われたのかと言いますと、
魔女狩りです。
悪魔とコンタクトしている魔女=ペストをばらまく張本人を捕まえて殺すことで
ペストを根絶やしにしようという発想ですね。
つっても、「魔女」の定義はかなりテキトーでいいかげんです。
辞書で「魔女」を調べると、
「ヨーロッパの民間伝説に現れる妖女。
悪魔と結託して、魔薬を用いたり呪法を行ったりして人に害を与えるとされた」とあります。
ペストをばら撒くこんな魔女を見つけてぇー、捕まえてぇー、そんで殺すゥ、みたいな?ってのが魔女狩りなワケですよ。
じゃあ魔女は、どうやって見つけてたのでしょうか?
魔女だって、サリーちゃんみたいに堂々としているワケではありません
(あ、サリーちゃんも魔法使いってことは秘密にしてたか)。
で、魔女を発見する方法なんですけども、その基本は「通告」です。
要するに「コイツは魔女っぽい」という通告があったら、
容疑者は「魔女裁判」なるものにかけられるのです。
どれみちゃんも、マッハで裁判にかけられることでしょう。全員まとめて。
その「魔女裁判」なんですけども、その内容ってのもかーなりキテます。
普通、裁判っていったら口頭陳述から始まるものですけども、
魔女裁判の場合はイキナリ拷問です。
むしろ拷問がすべてと言ったほうが正しい。
「お前は魔女か〜ぁ?」ビシッ!!
「お前がペストをばら撒いてるンだろーが。アア〜ン?」ドカッ!!
「吐けッ!吐くンだッ!コラァッ!!」バキッ!!
・・・・・・という具合です。
拷問に耐えられなくなって「私は魔女です。ですからもうやめてください」とウソでも言ってしまったらもう最後。
つぎには「魔女処刑」が待っています。
「魔女処刑」とは何ぞや?
ぶっちゃけたハナシ、フツーの処刑です。火あぶりの刑です。公開処刑です。
ついでに家族や親族も魔女扱いでまとめて処刑です。
家族や親族ってことは、単純に考えて男性も含まれていますよね。
えぇ、魔女狩りには男も女も関係なかったのです。
なぜなら魔女は男の姿にも変身できるから、です。
とにかく問答無用で、魔女の疑いのある者は処刑処刑処刑。
こんな具合です。魔女狩りは。
なお、魔女かどうかを判断する基準としては、こんなものもあったようです。
針で全身を刺しまくって1ヶ所でも血が出なかったら魔女(そりゃ血の出ない場所もあるでしょ)。
拷問で痛みを感じなかったら魔女(過激な拷問を受けりゃ痛覚もマヒするでしょ)。
とにかく疑わしい点があれば、そいつは魔女。その家族も魔女。
そして処刑処刑処刑。
なんか非論理的ですけども、こういう傾向は日本でもありました。
江戸時代に流行した風疹とかコロリ病(コレラ)などの流行り病に対しては、
細菌とか伝染とかいう発想がないためにけっきょく神頼みだったのです。
病気の治療法と言えば、家の入り口に魔除けのお札を貼ったり、神主さんにお払いをしてもらうとか、
そうするしか方法がなかったのです。
病原菌という細菌の視点で見れば病気の感染源は
糞尿が井戸水に流れて、飲用水に混ざってしまうことにあるのですけども、
そういう事実を知る術もなければ当然わかるわけでもなく、
ましてや治療法なども確立されていなかったので神頼みといった方法しかなかったのです。
ですから病にかかってしまった人を処分しちゃうっていう方法は
残酷かもしれませんけど仕方がなかったことなのですね。
もっとも「魔女狩り」の場合は、かーなりやりすぎですけども。
が、どーしてヨーロッパに限って人口が1/3になるくらいの伝染病が流行したのでしょうか?
それはヨーロッパが不潔文化を誇っていたから、です。
西洋文化って言ったら、優雅で雅なイメージがありますけども、
そんな西洋文化が誇る女性のためのアイテム、
スカート・ハイヒール・香水の3種の神器のルーツを調べれば、
ヨーロッパが不潔文化のメッカだったということが浮き彫りになってきます。
スカートは何のためにあったのか?女性が立小便をするためです。
ハイヒールは小便や野グソを踏みつける面積を減らすためにあります。
香水は香りを演出するためではなく、匂い消しのために発明されたのでした。
実際、ヨーロッパは水が少ないために風呂に入るという習慣がなかったそうで、
一生風呂に入らなかったという人もいたと言います。
さっき野グソ、と言いましたけど
ヨーロッパにはトイレという発想もなかったみたいです
(日本にはあったけど。武田信玄は水洗トイレを作ってたというし、ライバル上杉謙信はトイレの中で死んだとも言います)。
じゃあヨーロッパの人たちはどうやって用を足していたかと言うと、
家の中に便器代わりのたらいを使っていたのです。
で、それをどうするかと言うと窓から捨てる。
過激ですね。
「窓から糞尿タレ流し」は、
下手すりゃ道行く通行人にバシャリと浴びせられることもありました。たまりません。
ついでに都市部になると道路は石畳なので
ウンコで滑って頭を強打して死亡するというケースもあったそうな。
要するにヨーロピアンにはトイレという発想がなかったのです。
「とにかくウンコは野グソ」の発想です。
実際にベルサイユ宮殿にはトイレがありません。
ベルサイユ宮殿に招かれた来賓は、庭で野グソをしていたのです。
じゃあ、オスカルも野グソしてたのでしょう。嗚呼、オスカル・・・。
フランス革命時にバスチーユ要塞に監獄されていたサド公爵は、
民衆に演説するときに窓にぶら下がっていた小便排泄用のじょうごを
メガホンにして民衆に演説していたというエピソードもあります。
これは、糞尿は道端にタレ流しにされてた事実を証明しています。
さらに特筆すべきは食文化です。
西洋文化の食器の象徴ともともいえるフォーク・ナイフは文献を調べればわかることですが、
発明されたのは13世紀頃だったにも関わらず、
18世紀頃までは使われることはなかったのです。
上流階級でもフォークやナイフを使い始めたのはルイ16世が最初だと言います。
じゃあ、それまでどうやって食べてたのかというと・・・手づかみ。
とにかくワイルドにかぶりついて食ってたのです。
しかも不潔とか不衛生とかいう発想がなかったので
めっちゃ汚い手で食ってたであろうことは想像に難くないですね。
風呂に入らないような人が手を洗うワケがないですから。
・・・そりゃ病気にもなるってば。
「剣と魔法のファンタジー世界」って、
じつはこーんな中世ヨーロッパが下敷きになってたのね・・・。