〜第4回目〜
オリジナルの亡霊。
物語というものは「伝承」や「出版物」として様々な土地に移動します。
なんだか貞子の呪いがビデオや本になって増殖したのに似てますね。
そして増殖を繰り返す過程で、物語は根付いた土地の文化や時代によって内容が変化していきます。
こちらも突然変異した貞子の呪いにそっくりですね。
たとえばシェイクスピア[注1]の「マクベス[注2]」。
これってもともとはバッドエンドなお話ですけど
その内容が受け入れられなかった時代には、無理矢理ハッピーエンドに書きなおして上演されていました。
でも、いくら作品が時代のニーズに合うようにアレンジされても、あくまで基準はオリジナルです。
やっぱりオリジナルの権力には勝てません。
オリジナルはオリジナルがゆえにオリジナルなんです。
よくわかりませんね。
つまりオリジナルこそがオリジナルなんです。
あ、言ってることが同じですね。
・・・わかりやすく説明します。
要するに「マクベス」は、どうあがいてもバッドエンドなお話なんです。
「ハッピーエンドのマクベス」は、「本当のマクベス」ではないのです。
だからグリム童話もやたらと初版にこだわるンでしょう、きっと。
つまり初版こそが「本物のグリム童話」であり、「価値がある」と思われがちなのです。
原作つきの映画やドラマを見て、「原作のほうが面白い」と必ず言う人と同じです。
あるいは、初体験の相手を基準にして
××××の上手下手を判断するのと同じ[注3]とも言えますね。
童話学の世界で、物語のルーツを探ることは重要なことだと言われています。
童話は短くて単純な物語です。
そのぶん抽象的な物事に意味深なメッセージが込められてる場合もあれば、
ひとつのオブジェクトに対していろんな解釈ができる場合もあります。
深いです。
だからルーツ探りは重要なんです。
たぶん。
グリム童話とは直接関係ないンですけども、ルーツ探りの好例としては
サンタクロース[注4]の物語なナイスですので、このルーツを深読みしていってみましょう。
サンタさんは赤いですね(あたりまえ)。
でもサンタさんが赤い服を着たのは、じつは戦後になってからです。
コカ・コーラ社がクリスマス商戦[注5]の宣伝のために、
自社製品のコカ・コーラとのイメージと一致する「赤いサンタクロース」を作った、というのが定説です。
「だからどうしたの?」というツッコミが飛んできそうですね。
そんなこと言われてもワタシ困ります。
童話学ではルーツ探りが重要だと言われてるのだから仕方ないです。
・・・でもね、「赤いサンタさん」は、それ以前に北欧で生まれてるンですよ。。
北欧に伝わる精霊に「トムテ」というのがいます。
精霊トムテってのは、ディズニーアニメ「白雪姫」に登場する小人みたいなもンです。
トムテは農家や古い家の床下に暮らして家畜や人を守っていますが、
トムテは夜中に行動するので人間がその姿を見ることはありません。
北欧版「妖怪人間ベム[注6]」と言ったほうがわかりやすいね。うん。
クリスマス・イヴには、そんなトムテに人々は感謝して
彼らのためにおかゆを器に入れて納屋などに置く習慣があります[注7]。
北欧は寒いから腐る心配もありません。
アリもたかりません。安心です。
で、そんな北欧の地に結びついた妖怪人間ベムこと「トムテ」は、
黄色や緑などいろいろな服を着ていて絵本にも描かれていました。
今世紀初頭にニーストリュームという人気画家は、
「ユールトムテン」(「ユール」はクリスマスという意味、らしい)という本に
赤い服を着たサンタをたくさん描きました。
こうして北欧では、アメリカより先に「赤いサンタ」は定着したのでした。
ヒトラー[注8]の「100回ウソついたらホントになる」という言葉を思い出させてくれます。
さて、ここで気になるのは
「赤いサンタ」のルーツは、アメリカが先か北欧が先か?ということです。
歴史上では、アメリカよりも北欧のほうで「赤いサンタ」は誕生していた。
しかも北欧はサンタの誕生の地である。
でも我々の知っている「赤いサンタ」は、北欧とは別の形でアメリカで生まれた。
この場合、「赤いサンタ」のルーツはどちらにあるのでしょうか?
ま、結論としてひとつ言えるのは
犬小屋を英語で「ケンネル(犬寝る)」というのと同じようなもので、
ルーツが異なってても同じ結果に行き着くこともあるってコトです。
さて、一見無意味にも見える「ルーツを探り」。
これによって物語を根源的な部分まで回帰させ、
その物語の持つメッセージや土地の文化を再発見できるそうな。
手塚治虫[注9]の「どろろ」っていうマンガ知ってますか(知らない人は読んでください。おもしろいです)?
この「どろろ」なんですけど、そのルーツをたどって行くと
古代ギリシアの詩人ソフォクレス[注10]が書いた「オイデュプス王[注11]」という物語に行き着きます。
物語の主人公こと、このこのオイデュプス王は
父親に捨てられた上に、たまたまエッチした相手が自分の母親だったという過激な人生を送っています。
心理学者フロイト[注12]はこの過激っぷりを「エディプス・コンプレックス[注13]」と呼んだほどですから、
ルーツ探り(補足)は「物語の中に潜む真理」を見つけ出す方法として重要みたいです。
とにかくルーツ探りによって、物語の言わんとする「オリジナルな真理」まで還元することができるみたい。
もっとも、正しい方向にルーツ探りをする必要があるンですけどね。
ただ、我々にとっての「オリジナルのグリム童話」は
「初版」ではなく「7版」のほうだと思うンですが、そのへんどうでしょ?
「初版」の内容が新鮮に感じられる理由は、
「7版」のほうがオリジナルとして存在してるからじゃないでしょうか?
我々にとってはオリジナルでない「初版」を崇拝するのは、
けっきょくは「初版」という名の「オリジナルの亡霊」にとり憑かれるだけだと思います。
今回のポイント |
初版・原作は、必ずしも真理とは限りません。 天声とも限りません。解脱とも言いきれません。 でも、やたらと初版や原作を崇拝する人たちいますよね。 |