第1回 神様はスゴイ

  世界には、なぜか「いい神様」と「悪い神様」がいます。
 いや、べつに「
光の神」とか「闇の魔王」なんかでもかまいませんよ。
 どうしてこの世には「いい神様」と「悪い神様」がいるのでしょうか?

 ここで重要なのは、世界は「いい神様」がいるだけでじゅうぶん平和なのに
 どうしてわざわざ「悪い神様」がいるのかってコトです。
 「いい神様」は人間から見れば凄い方なのに
 人間に悪影響を及ぼす「悪い神様」をやっつけてくれないと
おかしいじゃないですか?

  そんな疑問を解決してくれるキーワードがあります。
 それは「
自然現象」です。
 イキナリ結論を言っちゃいます。
 古代の人たちは、様々な
自然現象を神様だと信じてたンです。
 われわれ現代人は、雨が降るのは上空に集まった水蒸気が落ちてくるからだとか、
 雷が起こるのは雲の中の電子がうんぬんとか、
自然現象を「科学現象」として説明できますけど、
 文明や科学が未開の古代人にとっては
 
自然現象は「神の行為」としか思えないようなシロモノだったンです。

  自然現象を「神の行為」とした理由は簡単です。
 それは「自然現象の起こる理由が
わからなかったから」です。
 ここで再び「いい神様=光の神」と「悪い神様=闇の魔王」に焦点を当ててみましょう。
 神の存在が自然現象とするならば、
 これらの神や魔王のルーツは何かわかりますね。
 そう、
です。
 太陽が昇っているうちは、光の神の恩恵を受けることを表し、
 夜になると闇の魔王のチカラが働いてる、ということになったワケです
 (もともと暗闇に対しては心理的不安感を持つものですし、
 人間は夜行性でない=夜目がきかないのも、その要因になってるのでしょう)。
 つまり、夜中=闇のチカラが強いときには、光の神様は無力なワケです。
 これで、RPGにおいて
光の神様が積極的でない理由がわかりましたね。
 光の神様と
闇の神様の共存は、自然界の均衡を表しているのです。

  しかし、そんな自然現象は
恵みであることもあれば、災害になるときもあります。
 雨は降らなきゃ作物は育ちませんが、逆に降りすぎると土砂崩れが起こって迷惑ですね。
 つまり、神様は雨を降らせるのが役目ですけども、
 まったく雨を降らさないで日照りにさせたり、思いっきり雨を降らせて洪水にしたりするという
 
非常に困った存在でもあったンです。
 こういった一貫性のない自然現象をもたらす神様のことを、人々はこう思いました。
 「
神様って、なんて気まぐれなんだ・・・。

  神様こと自然現象って、とっても気まぐれですよね。
 気象学が発達した現代でも、天気予報ははずれることがあります。
 そんな気まぐれな自然現象こと
神様は、すごく人間的な存在だとされたンです。
 したがって、
神様は人の形をしているともされたンです。
 もともと神という存在は、人間の高い知能が作り出したものです。
 しかし、人間の知能にも限界があります。
 その限界とは何かと言いますと
 「
神様はスゴイ存在だけど、どのくらいスゴイのかがわからなかった」ってコトです。
 わかりやすく言うと「神様は人間が創造したものだったから、
 人間の知ってるもの以外の存在ではなかった」というコトなんです。
 全然わかりやすくないですね。

  せっかくなので、ここでゲームネタで話をしてみましょう。
 RPGの敵として登場するキャラクターってのは、
 すべてにおいて
なんらかの物体をモチーフとしています。
 「
オーク」って名前のモンスターがいますよね?
 これは、ファンタジー小説の元祖「
指輪物語」にはじめて登場したモンスターらしいンですが、
 そのモチーフはどう考えたって
ブタですよ、ブタ
 エジプトにある
スフィンクス像にしたって、いろんな動物のチャンポンじゃないですか。
 こういう具合に、人間の想像力では
 
完全なるオリジナルの存在ってのは生み出せないもンなんです。
 キリスト教絵画に登場する悪魔の絵なんか見てると思うンですが、
 あれなんざ人間に夜行性動物(つまり闇の生物)であるコウモリを足しただけじゃないですか。
 こんな具合にいろいろあって、
 気まぐれな神様はすごく「人間的」な存在で、人型の姿をすることになったのでした


  ところがどっこい、人々も神様の気まぐれにつきあってられるほど余裕はありません。
 今ほど生活が安定してないのに、神様の気まぐれになかつきあってたら、生命がいくつあっても足りません。
 そこで、どうにかして
神様のご機嫌とりをやりはじめたのでした。
 そこで獣とか食べ物を神様にプレゼントして、どうにかしてもらおうと考えたンです。

  それでも神様は機嫌を直さないことがあります(そりゃそうだ)。
 ここで登場するのが
生贄というやつですね。
 どうしても機嫌を直してくれないとき、
 仕方なく仲間の生命を神様のために捧げて、本当に機嫌を直して欲しいことをアピールしたのです
 (ただし、地域や文化によっては
 「獣や作物では神様は満足してくれないから人間を生贄にした」という場合と
 「人間を生贄にしてたらキツイから獣を生贄にした」というケースがあります)。

  しっかし、そんなことばっかりしててもラチがあかないので、人々は別の方法を考えたに違いありません。
 人間から一方的にお供え物をするのでなく、
神様と交信しようとしたのです。
 つまり神様と交信する、あるいは神様のお告げを代理で伝えるというエライ人が出現してきたワケです。
 神様と交信できる人たちのことを、こんな呼び方をしていますね。
 僧侶、神官、巫女、ドルイド、シャーマン、などなど。
 うん、いかにもRPGですね。
 こうして人々は神の存在を作り出し、自然をコントロールする術を見つけた(と勘違いした)のでした。

 結論:自然は神様だ。